伏線はあった
らびちゃんとゆるくアンサンブルをやってきて8年なのですが、最初にアンサンブルをすることになったのは、8年前の発表会の時でした。
うちの教室で「伝説の第一回目」と私が勝手に呼んでいる、超~~~人数が少ない発表会を、とあるスタジオで行った時のことです。
人数が少ないのに、いや、少ないからこそ結構、今はできないぞというような無茶をしました。そして、人数が少ないので、何かをやって埋めよう(汗)として。
最初に合わせたのは「フォスター名曲集」という、フォスターの有名な曲のメドレーでした。草競馬とか、故郷の人々とか。
専門クラシックで、メドレーなんて高校時代の吹奏楽部(はい、私、吹部出身のピアノ弾きです)以来なので、正直「ようわからん」状態でした。
合わせる、ということについては、大学時代声楽の友人の伴奏をしたことがあり、そちらはなんとかなったのですが、メドレーをどう処理するか、ということが一番の悩みのたねでした。
出演人数の少ないところでの、苦肉の策としての「アンサンブル」。
8年前の試みがその後毎年続き、ユニットとして成立することになるとは、この頃全く予想すらしていませんでした。
奇跡的にデータとして残っていた、8年前の演奏の写真です。
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